泉陽冷熱を知る
senyo 45th history
1979年12月22日
堺市堺区寺地町東1-2-19にて開業
会長 吉田琢三郎 社長 吉田宰治
城陽ダイキン空調(株)堺営業所長であった吉田宰治が独立し開業。
ダイキン製冷暖房機の販売・設置・メンテナンスをメインに営業を開始。
余談ではあるが、琢三郎はダイキン工業(株)(当時の大阪金属工業(株))で、現在のタイセイ(株)の創業者 鈴木清一氏と出会い国内初となる潜水艦への冷凍機設置の設計に尽力した立役者である。
1980年~1984年
売上高 5700万円~1億8千万円
大冷夏でエアコンの売れ行きに大打撃があったが、宰治の持ち前の営業手腕で着実に工事受注先を増やしていったが、受注する工事規模が拡大し、職人の会社から工事管理をする会社へと変化していく中で、発注先より、建設業の許可として管工事の特定建設業が必要であると指摘される。
1985年~1988年
売上高 2億5千万~4億9千万円
1985年には資本金を1000万に増資。
1986年11月2日 吉田琢三郎 死去(享年75歳)。
1987年には資本金を1500万に増資。
管工事(特定)建設業許可、電気工事(一般)建設業許可を取得。
1988年4月21日 新社屋ビル竣工(S62/4月着工、S63/4月竣工)堺市南区栂371番地
1989年 創立10周年
才門建設からのパチンコ遊技場施設新築の受注が増加。
1990年~1994年
売上高 6億5千万円~8億9千万円
堺市優良申告法人の表敬を受ける。
日本のバブル期、数千万円の仕事を断ることも度々あり、サブコンからの大型案件の受注が売り上げの大半を占める。
1993年バブルがはじけたと言われつつも、建設業界に関してはまだバブルの余波があった。
1994年 創立15周年 宮古島にて祝賀会
1995年~1999年
売上高 6億4千万円~2億5千万円
1995年1月17日 阪神淡路大震災が発生。仮設住宅設営にエアコンの設置応援協力を実施。
1996年に資本金2000万に増資。
1998年には公共工事、民間工事ともに案件数が激減。
1999年 創立20周年 上海蘇州にて祝賀会
ダイキン工業(株)田谷野氏(2023年現在同副社長)よりダイキン工業上海工場へ招待される。
2000年~2003年
売上高 2億2千万円~6億1千万円
大口受注先であった才門建設が倒産。その他建設会社の大型倒産や吸収合併が相次ぐなか、近畿大学生物理工学部及び医学部からの仕事が増える。
2003年 現社長 吉田勘哉 入社
2004年 創立25周年 山口県萩にて祝賀会。
2005年~2009年
売上高 2億6千万円~4億2千万円
第1回店社安全大会開催。天野山保養所新築竣工。
2006年2月26日 吉田勘哉 代表取締役就任 吉田宰治 代表取締役会長就任
空気調和設備の施工管理だけでなく、給排水衛生、電気設備を統括して管理可能な会社を目指す「SENYOワンストップソリューションサービス」構想が始動。
2008年度、近畿大学からの受注が全体の60%を占める。
2009年 創立30周年を迎える。
2010年~2014年
売上高 3億円~3億2千万円
2010年 工事管理業務マニュアル初版策定。
2011年 土木工事特定建設業許可取得。
2012年 第1回店社経営計画発表会開催。
2014年 創立35周年を迎え、企業理念の再定義を実施。
近畿大学からの仕事が減少。
2015年~2019年
売上高 3億円~3億8千万円
2015年~官庁入札案件(大型)の受注に注力する。
材料・資材購買先からの紹介で設備会社の下請けで官庁物件をこなすことが多くなる。
2016年 本社事務所の大改修工事
2017年 中長期経営計画「チャレンジ2020SENYO」の始動。
中途採用が100%であったが、各種学校訪問や企業説明会、インターンシップ等を実施、新卒採用に取り組む傍ら、「人が仕事を生む組織づくり」を目指し、SENYOコンピテンシー策定。人事評価制度を制定。
仕事の官民比率=7:3 民間の既存顧客が徐々に減少傾向にある事と価格競争が頻繁化する。
2018年 経理部・人事部・総務部をまとめ「会社を元気にする部」に統括。
施工管理技士育成の為、代表自身が講師となり若手人材に向けた講義を開始「32-61育成」
2019年4月 初の新卒社員入社 女性の積極採用と女性施工管理技士の入社
2019年11月 創立40周年を迎える。12月27日 創業者 吉田宰治 死去(享年76歳)
2020年~2021年
売上高 2億9千万円~6億円
2020年 中長期経営計画「チャレンジ2023SENYO」の始動。
2021年 営業部門の立ち上げ、集客営業力の強化。天野山保養所売却。
2023年 来る12月 創業45周年を迎えるにあたって、ホームページを更新。